好奇心は猫を殺すか?



第二回 ブレーンストーミング(後編)

 前回では「質より質を重視する」と「アイデアを批判しない」の二つがブレーンストーミングの重要な要素だと書いたが、これについてもう少し突っ込んで話を進めて行きたい。

 「質より量」
 「質より量を重視する」なんてことを書くとその意見に反対する人はすぐに出てくるだろう。「アイデア」というものを「量を重ねても到達できないもの」とか「百の凡作に勝る、それ自体で画期的なもの」とか「努力だけではなしえない偶然と天才的なひらめき」とか、そういう風に考えている人には「質より量を重視する」という言葉はすぐには信じがたいかもしれないが、たしかにそういうものを否定するつもりつもりもないし、それについては別のところでまた書きたいと思うが、ようはものの考えようで、ビジネスとしてすぐに使えるアイデアであるのなら、何も世の中を構造改革してしまうような世紀の大発明である必要は何もなくて、ライバルに一歩か半歩か出し抜いて競争相手に勝つアイデアであればいいわけだ。

 「批判を言わない」
 なぜ批判を言うことがいけないのかというと、「こんなこと言うとバカにされるんじゃないだろうか」という心理が働くとバカじゃない意見を言うのにも消極的になって、結局議論が盛り上がらない、それくらいならバカな発言でもどんどん言ったほうがよい、というのは何かブレーンストーミングの記事でも読んでればすぐ出てくることだが、だからといって批判しないことが全部いいってわけでもない。
ブレーンストーミングというにはアイデアの種を生み出すための手法だが、生み出すのはあくまでアイデアの種。そこからさらに精錬してよりよいモノを作り上げていくという過程に進んでいくわけだが、そこに及んで批判的なことを言わないことが言い訳ではない。 ようはタイミングやTPOがあるってことで、序盤では批判的なことよりバカな話のほうがよくて、終盤ではいつまでもバカなことよりも批判的なことのほうがいいというわけだ。じゃぁ、中盤ではどうしたかいいか?そんなことは知らん。


 ブレーンストーミングとは討論の手法であるから、当然人が集まらないと始まらない。一人でできるわけではない。しかしブレーンストーミングのほかの記事や紹介なんか読んでいる準備とかが結構めんどくさい。
 で、ブレーンストーミングの「自由な連想」という部分を取り出して、一人で出来る方法もないか知らんと考えるわけだが、まぁ結局はボケーとしながらとりとめもない考え事をするってことになるんだけども。
 電車に乗っているときはだいたい本を読んでいるんだが、たまに本を読むような気分じゃないときもあって、そういう時は本を閉じてとりとめもないことを考え始める。連想ゲームを繰り返して、どうでもいいようなアイデアを考えていたりする。考えているだけだとそのうち忘れてしまうので、いいことを考えたと思ったら早めにメモを取るような工夫も本当は必要なのだけれども、電車から降りて家まで自転車で帰る間にメモを取るような余裕はなくて、そのまま家に帰って「何かメモ取るつもりだったんだけど」とようするにもう忘れているわけだけど、そのまま「どうでもいいか」とほっといておいたら、また電車に乗るときに思い出すという、どうでもいいサイクルが存在する。

 話は少し飛ぶが、私は昔から考え事が多い性質(たち)らしく、それをして「何を考えているのかよく分からない」と言われていたが、何を考えていたのかは私だって覚えていない。昔に比べればあからさまに考え事することは少なくなっているはずだが。
 話はまた少し飛ぶが、実は座りながら考え事をすることは少なく、ほとんどの場合部屋の中をうろうろを歩き回っている、しかもわざとではなく知らず知らずいつの間にかだ。そのためによく家族から「熊みたい」だとツッコまれていた、あまりいいツッコミじゃないが。しかも自分の部屋でうろうろするならとかく、なぜかうろうろする場所は台所〜食卓で、隣の部屋に兄弟がいるのでときどき集中できないことをさし引いても、考え事をするときはなぜか台所にいた。しかし考え事に集中できるのは以外にも自分の部屋じゃないという経験を持つのはなにも自分だけではないはずだ。
 何かの本で読んだが、別にどの本か忘れたわけでもないのだが、アイデアを生む場所に3Bや三上という言葉がある。3BはBath・Bed・Busで、風呂場と寝る前そしてバスは帰路を指している。三上というのは、床上・厠上・馬上で、これは寝る前と手洗いと馬上も帰路をあらわしている。この中に台所がまったく入っていないが。
 別に台所が静かで集中できるわけではなく、実際人がよく通るのでよく中断させされるし、単純に本を読んだり勉強したりするだけなら自分の机が一番集中できるのだが、まぁだれにでも家の中で自分の部屋以外で落ち着く場所というものはあるものだ。


 どうでもいい個人的なこだわりを書き散らしたところでそろそろこのブレーンストーミングの話題を終えるが、「質より量を重視する」ことについて書き残したことがあるのでもう少し書き進めたい。
 まったく別の本で読んだことだが、その本では「一日3行アイデア」というものを勧めえていた。読んで文字通り、毎日3行のアイデアをノートに書き綴っていくことを日課と課すというものだった。ここでいうアイデアというのは何か新しいこと、既存のものでなければ何でもよくて、それ自体完結したアイデアでなくてもいいし、読んでるだけで意味不明なことでもいい、前に書いたことを書き直しただけのものでもいいが、とにかく毎日続けるということに意味があるのだろう。一日3行で一年365日通したらそれだけで千個近くのアイデアが貯まる計算になる。一日三行以上書いてもいいわけだからそれ以上にもなる。
 ちなみに「質より量を重視する」というときに、普通が2・3個だったところで10個ほど出す、というレベルでの「量」ではない。



 第一回も終わってないのにいきなり不定期連載になってしまったのは私の甲斐性のなさのいたるところ、とここは素直に謝るしかない
 タイトルに元にもなっている英語のことわざ「好奇心は猫を殺す Curiosity killed a cat.」は本来、「好奇心は身を誤る」「やたらと首を突っ込むのはよくない」という中道精神を説いたことわざなのだが、ここでは「好奇心は猫でも殺せるすごいパワーだ」という意味で使っている。


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