しんやすなおきのOriginal Bearms. com




ACT1.主流について

 椎名林檎の「絶頂集」を聴きながら、この原稿を書いている。このCDを聴いて、改めて彼女の、そして人のスタイルについて考えた。

 3枚のCDSに収められた楽曲は、椎名林檎を通して、3色の形に変化している。どれを聴いても、すべてにおいてそこには彼女の新しいスタイルを見つけ出すことができる。

 私は椎名林檎の楽曲が好きだ。

 デビュー当時の椎名林檎は、音楽界から少し“浮いていた存在”であった。声や詩、そして楽曲のスタイルそのものが、椎名林檎のものであった。誰もやったことないものであったような気がした。そこに、人は引かれていくのであろう。彼女が売れた理由は、“ちょっと浮いた存在”であったからだ。私は、彼女のようなタイプ、つまり“浮いた存在”の歌手が好きだ。デビュー当時のゆずも斬新でかなり引かれて好きなった。

 “少し浮いている”“誰も考えつかないスタイル”が、世間に広く受け入れられた時、それは世間の「主流」なる。そして、次の「主流」が見つかるまで、それを中心に音楽界は巡っていくのである。

 「主流はある程度追うが、主流にははまらない」。それが、自分を見失わない為に、自分の心の中に決め事として、つねに抱いているもテーマである。

 G−S.T.F.の活動が始まり、自分の形成された『スタイル』や『知識』を使いながら、多くのアイディアを排出して、作品を構成していっている。

 私が、オリジナルシステム作る場合には、“少し浮いた”というか“ある部分に極化した”ぐらいのシステム作りを心がけている。「主流」となっているシステムや作品には、それ相応の理由がある。私もその理由には納得できることが多い。納得できないなら、無理に自分を曲げてまで納得しようとする必要はない。好みが違う、と言って無理には理解しようとはしない。ここで勘違いしないで欲しいのは、決してそれを無視してるわけでも、理解を諦めているわけでもないということだ。結果的には、そう解釈されてしまうかもしれない。自分が信じた、自分が本当に受け入れようとしていることなら、無視とか諦めという考えは出てこないと思う。受け入れようとする自分が出てくるまでは、自分を信じて動けばいいのだ。

 私が『刑事魂!!(デカ・ソウル)』や、その他のオリジナルシステムを創作したのも、現在の主流とは異なった、“しんやすなおきの作品”というものを、他人に見てもらいたかったからである。既存のシステムとの対比による評価ばかりで少しうんざりすることもあるが、多くの回答が帰ってくるのは、システムデザイナーとして嬉しいことである。全部の意見を解釈して、無視してはいけないのである。

 今はまだ、自分は「主流」ではなく、“既存のシステムとの対比によって生まれる隙間”をつく作品を制作しているにすぎない。既存システムのサプリ的なものは、そこにどれだけのシステムデザイナーの“オリジナル性”が含まれているかが、評価の鍵になる。

主流となるシステムがあってのオリジナルシステム。それらが「主流」なってしまえば、オリジナルシステムという枠が外れる。そして、他の誰かがその「主流」となったシステムとの対比で、また新しいオリジナルシステムが生まれてくるのである。自分の作ったシステムが「主流」になった時、そこからの遺脱性によって、どれだけ多くの自分のスタイルを持つことができるのか?どれだけプレイヤーやGMとなるユーザーを裏切れるのか?

 私は、多くのスタイルを持つシステムデザイナーになりたいし、もし「主流」となった場合には、自分の中の自分を多く引き出して、ユーザーを良い意味で裏切れるような作品を創っていきたい

 最後に、G−S.T.F.の代表であるR.きゃろること足達洋介氏の言葉を借りて、今回を締め括りたいと思う。

 「あるシステム中心に、サプリメントや小説などの多くの作品を出すのではなく、できるだけ多くの新しいシステムを創り、その作品ごとに独自のオリジナル性を持たせたい

 私は、この意見に賛成したいと思う。




2000年9月14日

文責:G-S.T.F.副代表代理代行 しんやすなおき 



感想をお待ちしています!!感想は、下記のメールアドレスかHP掲示板まで・・

メールアドレス:prince-s@f7.dion.ne.jp


 ACT.2へ